「東京のどこに泊まればいいですか?」

外国から来たゲストによく聞かれる質問です。東京は巨大すぎて、エリアごとの個性が伝わりにくい。おすすめを言おうにも、何を求めているかによって答えが全然違う。

そこで私たちが使っているのが、東京を歴史の成り立ちから3つのゾーンに分けて考えるフレームです。地図的な話よりも、「なぜこのエリアはこういう雰囲気なのか」が腑に落ちると、東京の見え方が変わります。

江戸の始まり ── 山の手という「人質都市」

1603年、徳川家康が江戸に幕府を開いたとき、この地はまだ湿地と丘が混在する辺境の地でした。家康が最初にやったことのひとつが、全国の大名を強制的に江戸に集めることです。参勤交代という制度で、大名は妻子を江戸に「人質」として常住させなければならなかった。

その大名屋敷が建ち並んだのが、江戸城の西から北西にかけての丘陵地帯——これが「山の手」の始まりです。麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷。地図を見ると、この一帯は今も坂が多い。その坂のひとつひとつに名前がついていて、江戸の土地利用の記憶が地形として刻まれています。

現代でいう「山手線の内側」とはまた別の話です。「山の手」という言葉はもともと地形の呼び名で、文字通り「山(丘)の手前」という意味。今の山手線という環状路線とは直接の関係はありません。

坂の街、神楽坂

山の手の雰囲気を今もっとも色濃く残しているのが神楽坂です。メインストリートから一本入ると、石畳の路地と料亭が折り重なる空間が突然現れる。江戸期の区割りがそのまま残っているため、道が複雑に入り組んでいます。フランス人居住者が多いことでも知られていて、和とヨーロッパの感覚が自然に混在している不思議なエリアです。東京にいながら「どこか」にいるような感覚があります。

江戸の発展 ── 町人の都市へ

大名屋敷の城下町として整備が進む一方、経済の中心は別のところに育っていきました。日本橋には問屋街が、浅草には寺と門前町が、銀座には幕府の銀貨鋳造所(これが「銀座」の由来です)が置かれ、商人と職人の町として東エリアが活気づいていきます。武士の都市から、町人の都市へ。江戸の「本番」はここから始まります。

港区側の発展:海を埋めて広がった街

南側では、干拓による埋め立てが進みました。新橋、築地、芝浦——現在の港区の多くは、かつて東京湾の一部でした。「港区のほとんどが海じゃない」と思うかもしれませんが、それは埋め立てによって陸地がどんどん拡張されたからです。港区という名前はその名残です。

この一帯は江戸〜明治の外交・貿易の玄関口でもあり、西洋文化が最初に上陸したエリアでもあります。築地の外国人居留地、新橋の鉄道開業(1872年)、銀座煉瓦街——明治の「文明開化」はこのエリアから始まりました。

下町側の発展:人が溢れ、川を越えていった

東側では、人口増加とともに市街地が隅田川を越えて広がっていきます。墨田、江東、さらに葛飾・江戸川へ。江戸時代に「江戸」として定義されていた範囲は概ね荒川・江戸川以西で、現在の東東京の多くがその範囲に収まります。

浅草は江戸最大の娯楽エリアとして栄え、上野は寛永寺と山として整備され、日本橋は経済の要衝として機能した。このエリア全体に共通しているのは、生活と文化が地続きであることです。神社仏閣、祭り、商店街、銭湯——観光スポットとして存在しているわけではなく、もともとそこに暮らしていた人たちの日常から生まれたものが、そのまま残っています。

銀座や日本橋は現在こそ高級商業地のイメージが強いですが、よく歩くと古い神社や江戸期の区画の痕跡が随所に残っています。表層は変わっても、下に江戸の骨格が透けて見える。それがこのエリアの面白さです。

東京へ ── 西の開発と「今の東京」の誕生

明治維新以降、急速な近代化の中で東京の市街地は西へと拡大していきます。それまで武蔵野の雑木林だった西側のエリアが、鉄道の開通とともに宅地・商業地として開発されていきました。

山手線(1903年全通)、私鉄各線の延伸、関東大震災(1923年)後の人口移動——この一連の流れが、新宿・渋谷・池袋を「副都心」として台頭させ、世田谷・杉並・練馬を住宅地として育てました。歴史の蓄積という点では東エリアに及びませんが、その分だけ計画的で、開放的で、「今の東京らしい」カルチャーが生まれやすい土壌を持っています。

渋谷のスクランブル交差点、原宿・表参道のファッション、下北沢のサブカル、吉祥寺の商店街——これらはすべて、明治以降に人が集まることで自然発生的に育った文化です。歴史は浅いが、密度は高い。それが西エリアのキャラクターです。

私たちが「東」に住んで、宿泊施設をやっている理由

ユカハンは東エリアを拠点としています。宿泊施設もここに集中させています。なぜかと聞かれると、答えはシンプルです。「観光地のための東京」ではなく、「生活から生まれた東京」がここにあるからです。

外国から来るゲストの多くは、東京に「本物」を求めています。きれいなだけの部屋ではなく、その街を感じられる滞在を。西エリアのトレンドは確かに面白いけれど、どこかよく知っているものに似ています。東エリアには、もう少し説明しにくい面白さがあります。

路地の奥に突然現れる小さな神社。昭和から時間が止まったような定食屋。早朝に魚を下ろしている築地場外市場。祭りの日に変わる町の表情。これは意図して作られたものではなく、長い時間をかけて積み重なったものです。

Wutoのコンセプト「日常だけど非日常」は、このエリアなしには成立しません。ゲストに「特別な何か」を体験してもらうために、非日常的な仕掛けを用意するのではなく、そもそも「いい日常」が続く街に拠点を置くこと——それが私たちの考え方です。

おまけ:東京の「規模」をどう理解するか

最後に、東京という都市の特異な規模について少し補足します。

東京都の人口は約1,400万人。しかしこれは行政区分上の数字に過ぎません。埼玉・神奈川・千葉を含む「東京圏」全体では、3,500万人を超える人口が連続した都市空間に住んでいます。

ヨーロッパの都市と比較するとその規模が実感できます。パリ市の人口は約200万人、ロンドンが約900万人。東京圏はその数倍の人口が、地図上ほぼ切れ目なく続く街に暮らしています。東京から電車で1時間走っても、ビルと住宅地は途切れません。

これはヨーロッパ的な「城壁で区切られた都市」とは根本的に異なる都市の成り立ちです。江戸が地形的な制約なしに放射状・同心円状に拡大し続け、明治以降の鉄道網がその拡大を加速させた結果です。「東京のどのエリアに行けばいいか」という問いが難しいのは、この規模感が前提になっているからでもあります。

どのゾーンも、それだけで一つの都市として成立するくらいの規模と密度を持っています。だから東京は、何度来ても違う顔を見せてくれます。